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震災の影響で現在補修工事(~12月中旬まで)が行われている深山ダム。
その為、水は抜かれダム湖は底を現し、ダムとは思えぬ姿に・・・

深山ダム





今日は深山ダム湖の奥から三斗小屋宿跡までの往復約10kmのトレッキングです。
高低差は300m、アップダウンもないので比較的楽なコースです。
紅葉も終わろうとしていますが、もみじやカエデは良い感じで紅葉しています。

この山道は「会津西街道」と言われ江戸時代には会津藩の参勤交代や会津と江戸を結ぶ物流の道として重要な街道でした。
三斗小屋まで





1時間30分程歩くと目的地の三斗小屋宿跡に到着です。
戊辰戦争では、ここ「三斗小屋」が戦場となり、至上まれにみる山岳戦が繰り広げられ多くの兵士が命をおとした場所でもあり、周辺には石仏や常夜燈を見ることが出来ます。
三斗小屋宿場跡 2
201111041406089c8_20111105112651.jpg20111104140610013_20111105112651.jpg
今では登山者達のために水飲み場(湧き水)も整備されています。
細い注ぎ口では不満なアーリーのとった行動は・・・・、ごめんなさい。





白湯山行道入り口だった大鳥居。
ちなみに「白湯山」とは、茶臼岳の八合目西に面したところで、山ではなく温泉の湧出源で、「御宝前」といい那須町湯本に属し、江戸時代から昭和初期に至る長い間、山岳宗教の霊場として多くの参詣者があったといわれています。
白湯山鳥居





宿跡を後に更に進むと、みんながいつもお世話になっている那珂川の源流に出ます。
那珂川支流 石碑





この橋を渡り、更に1時間ほど歩くと温泉宿「三斗小屋」に行きます。
でも今日はこの辺で遊び引き返すことにします。
那珂川の源流
三斗小屋まで後1時間30分地点





11月に入っても暖かい日が続き、この日も気温は18℃。
走り回ったアーリーたちは、、、やっぱり浸かり、泳ぎました。
アーリー





帰りはゆっくり紅葉狩りを楽しみならのトレッキングとなりました。
三斗小屋へ
地図




「三斗小屋宿跡」とは

三斗小屋温泉へむかう途中に会津中街道の宿場跡があります。
元禄8(1695)年、鬼怒川廻りの会津西街道が天災で遮断されたため、会津藩が参勤交代や廻米のため、国境の大峠の前後に三斗小屋宿と野際新田宿を設けました。

会津藩の記録によると、三斗小屋宿は屋敷割50戸で、元禄9年には人家はなかったとあります。
1850年頃より修験道の白湯山(はくゆさん・はくとうさん)信仰が盛んになり門前町として栄え、安政3(1856)年4月8日には参詣者が1日に1000人余に達したと言われ、今なお寄進された常夜灯や石仏などが残っています。

戊辰戦争では、旧幕府軍の攻防の要衝として1000人余の兵の駐屯地となりました。慶応4(1868)年8月23日午前8時頃、白河からの官軍が雨の中を突入し、その争いは午後6時頃まで続いたといいいます。
旧幕府軍は死者16名、砲3門を残し会津方面に敗走しました。

一時は栄えた宿場も戊辰戦争の戦火で全焼し、復興後も時代の変化により徐々に衰退していきました。明治中期に鉱山が開かれ、わずかに賑わいを見せましたが、明治41(1908)年5月に大火により再度全焼(14戸)し、昭和32(1957)年12月8日に最後の1戸が転出してからは無人の地となっています。

宿跡


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